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教育や時事についての日記

間違っていない!!大学生の時期が人生の夏休みという考え方

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 はじめに

 大学生活を送っていると,「暇だなー」「ダラダラしてるなー」と感じることが多いと思います。SNSを見れば友達と旅行に行っている人,彼女とデートをしている人など。充実している人たちを見ていると,自分は何をしているのかと思うことがあります。でも,人生の夏休みだし今はこんな感じでいいのかな。といった考えに至っている人も多いのではないでしょうか。そんな方に伝えたいことをまとめてみました。

夏休みは一生に一度

  現実逃避をしたいのは誰だってそうです。周囲の人が楽しんでいる。大学生活を謳歌している。でも,自分だって友達と旅行したり,彼女ができたりして,いずれ楽しめるだろう。今の自分はただ本気を出していないだけ。まだ,その時がきていないだけで。夏休みは長いのだ。

 しかし,時間はどんなことをしても戻ってくることはありません。小学生,中学生の夏休みは,友達と遊んだり,プールや旅行に出かけたりしていたと思います。そうして,結局は終わりに差し掛かった時に,宿題を慌ててする。

 改めて考えてみてください。人生に置き換えてみて,あなたはどちらを選ぶでしょうか。前半に宿題という名の勉強や就活仕事などをやって,後半は楽しく遊ぶのか。それとも若くて活気がある前半にたくさん遊んで,後半に宿題を片付けていくのか

今という,若くて楽しめる時間は,今しかないんです

結局何が正しいのか

 その結論は,誰にもわかりません。人間は,結論を求めますが将来のことは誰にもわ からないのです。

 あなたは,小学校が楽しかった。中学校が楽しかった。高校が楽しかった。と思いませんか?いろいろあったけど,やっぱり楽しかったと。人間は,将来というわからないことに対して不安を抱きます。そして,過去のわかりきった事実を良かった,楽しかったと思うのです。だって,それは不変なのだから

 そうして,過去にとらわれて今を楽しめない人は,多くいると思います。仕方がないことです。将来は何が起こるかわかりませんから。でも,そうして最悪の場合を考えると,明日死ぬかもしれませんよね。あなたは,今日そんなことをして終わっていいのですか。まだできることがあるのでは?

今できることをすればいい

  最初に戻りますが,人生の夏休みだと言って,無駄な時間を過ごしている人は自分では無駄に気づくことができません。だから,無駄な時間をなんの変哲もなく過ごすのです。人に言われたから遊んだり,あまりやりたくないバイトでも,お金のためだからやる。本当に楽しいですか。それで,大学生活,ひいては人生を終わらせてしまいますよ。私から言えることは,今やりたいこと,今できることを全力でやる,ということでしょう。答えがほしいですか?先にも述べましたが,答えなんてないのです。そうなりたい。なってほしいような答えに導けるのは,自分しかいないのです。つまり,自分で将来を作ってしまえばいいんですよ

 と,簡単に言いましたが,それが難しいんですよね。

教師になる人は注意!あなたはしっかり考えていますか。教師と親の関係

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教師と親の7つの関係

 

  1. 授業参観・・・保護者は自分の子が他の児童・生徒との関わり合いの中で、どんな反応をして行動をとるのか、その実態を知ることができる。

 

  1. 家庭訪問・・・地域や家庭環境の実態を知る。保護者との親近・信頼を高める。 保護者の願いや生徒の特性を聞き、生徒理解に役立てる。保護者の教育方針についての理解と協力を得る。

 

  1. 部活などの親の会・・・試合のときの送迎や部活が円滑に進むように親と教師が話し合いをする。

 

  1. PTA・・・各学校で組織された、保護者と教職員による社会教育関係団  体のことである。任意加入の団体であり、結成や加入を義務付ける法的根拠はなくすべての児童生徒のためのボランティア活動というのが本来のあり方である

 

  1. 三者面談・・・教師・生徒・保護者の三者が面談を行い、生活指導や学校での状況を相談する。進路の相談を行うこともあり、進学・就職について相談を行い、生徒のよりよい将来を考える場でもある。極度の緊張と精神的苦痛を伴う場合もあるが、意欲を持って臨むべきと思われる。

 

  1. モンスターペアレント・・・学校などに対して自己中心的かつ理不尽な要求をする親を意味する。  

 

  1. お便りノートによる交流・・・学校の生徒に関する便りをノートに書いて生徒に預け、親に渡してもらい、教師と親が交流するもの。

 

生半可な気持ちではなるべきじゃない

 

 「教師と親の関係とは?」という題を聞いて、教師と親の関係を自分が小学生の頃や中学生の頃など振り返ってみて考えたと思います。皆さんどのように感じたでしょうか。子共が好きだから教師になりたい。教えるのが好き。実は、それだけが教師ではないのです。その理由は上記の内容を見れば一目瞭然でしょう。

ですが、教師と親はともに子どもの成長を願うもの同士であるということは忘れてはいけません。そこには、教育における先輩の教師と、子どもの一番の理解者である親という関係があるのです。教師は子どもに勉強や、時には人間性を育てる、いわば教育のスペシャリストであり、一方の親は、家庭内で常に子どもと接し、互いに理解し合える関係であるということ。そして、子どもの成長において、教師と親の考えは、時に拮抗し、反発し合うことは当然であり、この両者の考えのバランスがうまく取れると、子どもがのびのびと成長できるのではないかと思います。

 モンスターペアレント

 

だから近年、耳にするモンスターペアレントといった問題は、この両者の関係において、バランスを損なうような事態が生じている現状を示しているのであり、それを解決するためには、教師と親が強い信頼関係で結ばれる必要があるのではないでしょうか。例えば、最近では、親が授業参観で撮影をし、それをもとに教師に対して子どもが差別されているなどといった訴えをする親がいることをニュースで見ました。これは、教師と親の教育に関する考え方の違いによるものであり、ここで必要なことが、互いに考えを理解し合い、信頼し合うということです。

では,なぜ今まで発生しなかったモンスターペアレントといった問題が、現代の日本において現在、発生しているのでしょうか。私が考える理由としては、上記の7つの関係の中にある、家庭訪問やPTA、お便りノートによる教師と親の交流の質の低下があるからではないかと思います。

つまり、この問題を解決するためには、両者の交流の質を高め、本来あるべき信頼関係の再構築が必要だということ。教師と親の関係とは、互いに子どもの成長を考え、理解し合う、ともに信頼できる関係になることだと思います。

 

教師はブラックではない3つの理由

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初めに

 私は教師ではない。しかし、塾講師のアルバイト3年間や児童養護施設の訪問月に一度2年間継続し、中学校で部活の手伝いなどをした経験がる。詳しい内容については、違う記事でも書いているため読んでみてほしい。

 

その1~生徒のせいではない~

 最近よく耳にするようになった言葉がある。それは「今の中学生はうるさい」「SNSによるいじめ、大変そう」「言うことを聞かない生徒が多い」等々様々だ。共通するのは、生徒が悪い方向に変化しているため、親含め教師が対応に困っているということだ。

 だが、児童生徒が悪いのだろうか。違うだろう。この社会を作ったのはほかでもない、いま社会にいる人々、あるいはこれまで社会にいた人々であるのだ。確かに、少しずつ自我を持ち始め、自分自身でできることが増えてくる年齢である。しかし、児童生徒が行動、態度、言動が悪いといい、その社会の変化に対応しない教師は教師になる資格はないと思う。

 少なくとも、子どもが自分の意図しないように育ってしまっても、その責任は児童生徒ではなく、親や教師にある。自分たちが、あたかもしっかり指導し育てているという心を持つのはやめてほしい。

 

その2~どんな職業も辛い~

 人に教えるのは好きだけど、教師は大変そうだ。と思っている人が多いのではないだろうか。私も、そう考えた時期があった。正直今でもブラックではないと断言はできない。しかし、他の職業を見てみれば、教師だけが辛いわけではないことがわかってくる。人は、他者との比較によって自分の価値を判断する。教師を目指して、教師になった人は、社会と接する機会があまりない。辛いと言っている人は基準が低いと思う。

 公務員という安定の職業ということだけで就職しているのだろう。人のために働く。自分の将来のために働く。悔いのない人生を送るために働く。私は、教師をブラックだと言っている人は、この考えに乏しいのではないかと思う。賃金なんて気にしない。自分の好きな職業につけただけで、他の人に比べれば幸せではないだろうか。

 

+α

 私には兄がいる。自分勝手な兄だ。その兄は、バイクが好きでバイクの会社に就職した。聞く限り、福利厚生、職場環境、決していいとは言えない。公務員と比べたらなおさらだ。しかし、賃金は気にしていない。自分の好きなことをできているだけで幸せだと語っている。朝は7時には起床し、夜は残業代が出ているのかも定かではないが、家につくのは11時。兄は大卒であるのに、周囲には高卒、中卒ばかり。でも兄は、生き生きしている。自分の人生、明日死んでも後悔はないような出で立ちだ。私もそう生きていきたい。

 

その3~現に教師は減っていない~

 インターネットにおいて、掲示板やこうしたブログ等で、「教師はブラックだ」「やめた方がいい」と言ってる。テレビのニュースなどでも取り上げられる始末だ。しかし、教師の倍率は減少しているだろうか。今すぐ調べてほしい。

 結局のところ、そう言ってその人たちに何の得があるのか。危険なものを危険といって、避けさせて善人になっているつもりだろうか。そうして注目を浴びたいのか。私にはわからないが、教師の倍率は減少していない。少子化などの影響で人数の原初があっても、他のメディアのような根拠は断片的で社会的背景をふまえていない

 私の述べていることも、本当かどうか心配だろう。そしたら、文部科学省のホームページに行き、少子化などの社会事情と各県のホームページの教員採用試験の倍率を見てみるといい。自分の目が一番信じれるものだろう。

 

 

社会の状況と、今の自分の悩みを思わず書いた。~人生としあわせ~

 

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1.誰一人として同じ人生を歩んでいる人はいない

 人生について、皆が一度は考えるだろう。しかし、それが人生なのである。誰もが、自分の人生について試行錯誤を繰り返し、最終的には人生の大きな選択といえる仕事につくのである。

 だが、仕事を人生と考えてはいないだろうか。大学生になると、仕事の選択に迫られ、焦って人生ん選択と称して就職する。そう言った人たちは、自分の与えられた仕事を機械のように全うする毎日を送る。これが、人生なのだろうか。いや違う。仕事は、人生の一部である。それに大きく左右されてはいけない。多様な生き方があり、生きるために仕事をするという選択肢以外にも、自ら自給自足することで、働かなくてもよくなることだってある。いま、日本人として生まれた私たちに与えられた選択肢は人の数だけあるのだ。

2.メディアの影響力

 皆が、人生の手本とするのは、メディアである。つまり、最も影響を受けるテレビの出演者が例として挙げられる。芸人になることや、モデルになること。お金持ちになり、車を買うこと。大きな家を買うこと。ドラマでは、貧乏がいつも苦しいい思いをして、努力し助けられお金持ちになる。などなど。

 だが、それが幸せといえるのか、考えたことはないと思う。「しあわせ」これについて、日本人は、アリのように忙しく働いているため、考える時間もないと思う。

 

3.幸せと人生・生きるということ

 なぜか、教育現場においても、将来困らないため、就職できるように勉強させているような気がする。しかし、本当に大切なことは、この流動的な社会において、いかに自らの知識・能力を最大限に生かいし、生きていくかではないのだろうか。勉強は、そう言ったものを磨くものではなかったのか。

 これに付随するようにして、人々の幸福感が変化してきた。お金持ちが幸せ。お金がなくては生きていけない。資本主義社会の負の方向に人々は動いているような気がしてならない。「しあわせ」を感じるのは、人それぞれちがう。それこそ、多様なのである。だが、それを押し殺してでも、人生におけるお金は必要なのだろうか。お金が人生になっていないだろうか。今一度、考えてみてほしい。

4.何かを得れば、何かを失う

  これを忘れている人が多い気がする。最近では、韓国と日本の合同企業が、森林を伐採し、太陽光パネルを山一帯に設置するという話が出ている。これで、何を思うか。自然エネルギーであるから、地球にやさしい、もっとするべきだ。これは、日本全体の利益のみならず、世界の自然のためにも、効果的だ。

 果たしてそうだろうか。「何かを得れば、必ず何かを失う」ここでは、詳細は述べない。もう一つ記事を書こうと思う。

宗教とは~宗教教育から見る法人の逸脱~

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初めに

 宗教と義務教育の関係について、日本国憲法はどのような立場を示しているのだろうか。日本国憲法第二十条の第三項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という条文がある。つまり、日本では憲法において義務教育下の「宗教教育」は憲法上禁止されているといえるのだ。だが、私は「宗教教育」は禁止されていても「宗教についての教育」は義務教育で必要だと考える。そこで、以下では、既述の憲法の条文もふまえつつ、「宗教についての教育」の必要性を宗教法人とも関連させて見ていく。

1.「宗教教育」と「宗教についての教育」の違い

 

 まず、先にも出てきた「宗教教育」とは何だろうか。これについては、昭和22年の教育基本法案特別委員会の辻田政府委員が「…特定の宗教に関する教育という風に考へて居ります。」⑴としている。一方、「宗教についての教育」とは、宗教に関する知識、例へば宗教学といった、宇宙の神秘や生命の不可思議を考えるというようなような教育である。つまり、正確な解釈に基づけば「宗教についての教育」と「宗教教育」は別物であり、義務教育現場においては教職員全員が、このことについて知るべきであるだろう。たしかに、憲法の一つの解釈としては、両者は宗教について教えるという点で、同じものだと捉えることもできる。そして、まだ自我を確立しているとは言えない児童生徒に対して、大人(教師)の言う「宗教」のことがどれだけの影響を与えるのかについても注意するべきであるだろう。

 だが、私の考えとしては、辻田政府委員の言葉もふまえると、特定の宗教について教え ること、例えば、キリスト教について教えるときに、他の宗教との比較もせずにキリスト教の教義を細々と教えることに関しては禁止すべきであるが、宗教を中立的な立場からとらえ、子どもたちに必要な「知識」を教えること、つまり「宗教についての教育」は禁止しなくてもよいと考える。理由としては、前者(宗教教育)は特定の宗教に偏った、いわゆる「信仰心」を養わせるような教育となってしまい、憲法における思想良心の自由や先の条文からも、義務教育現場においては不適切な教育といえるのは確かだ。だが一方で、後者(宗教についての教育)は、人類の伝統や文化、社会そのものを作ったといえる宗教を、日本だけではく、世界に視野を広げて学ばせることが出来るのだ。これは、グローバル化が進行している現代社会において、必要とされていることであり、今後、世界的に活躍の場を広げていく子どもたちにとっても育むべき知識といえるだろう。

2.宗教法人の巧妙な手口

 最初に述べておきたいのは、私の親しい友達は、日本で最も大きい宗教法人を信仰していた。その人は、家族がもともと信仰しており、いわゆる二世といえた。葛藤していたことなど、そうした二人で話をたくさんしたことをふまえた意見である。決して、誹謗中傷のためや、主観的な意見でないことを考慮してほしい。

 宗教法人は、「教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体、つまり「宗教団体」が都道府県知事若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得したもの」⑵とされている。ここで、この文章を読んだ人は、教義とは何か、儀式行事とは何かわかるだろうか。世界の三大宗教は、皆が周知の意通りであるが、キリストの教義は本来何であるのか。日本の宗教法人に多い仏教であるが、儀式行事はどういったことなのだろうか。その意図は。なにを背景にして宗教ができたのだろうか。それを知らずして、宗教を信仰していいものなのだろうか

 最近は、宗教法人に若者がよく訪れるそうだ。それがなぜか。昔からの、墓参りや親子関係、親戚関係が薄れ、人間関係の希薄が進行してきたことで、日本古来(宗教ではなく文化的な)の習慣が衰退し、ストレス社会の現代に耐えられなくなった人々が一歩踏み出してしまうのではないだろうか。だが、そこには心理学を駆使した、必ず信仰を勝ち取るための戦略が、宗教法人にはある。その、矛盾を客観的に理解するためには、先に述べた「宗教についての教育」の必要性があるのではないのだろうか。 

まとめ

 「宗教についての教育」は、義務教育で行う必要があり、それを行う際には、細心の注意を払うこと、そして、政府だけでなく、学校現場や地域との連携を図ることで、偏った「宗教教育」になることを防ぎ、それが将来を支える子どもたちの「知識」の構築につながると私は考える。

 また、宗教法人については、多様な考えの一つとして、そうした営利団体も一方的に否定することはできない。しかし、日本が思想良心の自由を掲げていることを利用し、宗教法人が信者から「お布施」として利益を得ていることについては、たとえその団体の教義や思想に共感を得ていたとしても、知っていてほしい事実である。