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教育や時事についての日記

教育勅語を取り上げたことは大きなメリット

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目次

 はじめに

 教育勅語について,個人の意見ではなく,文部科学省の見解を見てみたいと思います。「明治二十年代の初めに確立されたわが国独自の近代国家体制は、政治の面では大日本帝国憲法によってその基礎が置かれた。他方、国民道徳の面からこの体制の支柱として位置づけられるのが「教育に関する勅語」(教育勅語)である。(文部科学省 二明治憲法教育勅語より)」というものです。つまり,戦前の日本の教育政策は、天皇制権力が教育勅語の教育理念を支持することによって成立していたといえるでしょう。

現代風の教育勅語

 柴山文部科学大臣は,教育勅語の活用に関し「同胞を大切にする、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する。」「道徳などに使うことができる部分は十分ある。普遍性を持っている部分が認められる。」と述べていました。 

大きなメリット

 大きなメリット。それは,国民一人ひとりが,教育について改めて考えなおしたことではないでしょうか。正直言って,国民の中で教育勅語を読んだことがある人。何人いますか。教育は,人が生きて行く上で大切なものです。それをおろそかにしていた日本が。いや,日本人が教育について自分で考え,学び始めたということでしょう。

 もちろん,「勅語」という言葉は,今の国民にとっては衝撃的かもしれません。それは当然です。そのような言葉を普段使っていないからです。教育勅語は,教育基本法へと移り変わりました。教育基本法を検討するようなものです。そうであるのに,「教育勅語」という言葉を使った。私は,面白いなと思います。国民は,自分の教育観を確立できるのですか?しっかり調べましたか?今求められているのは,批判することではありません。行動することです。

教育は何なのか?

 教育は,自立を支援するということでしょう。押さえつけではありません。子どもに寄り添い,自立するのに必要な法律やルールは,最低限教えるのです。

 たしかに,上からの押し付けによる教育は,指導する側から見れば簡単かもしれません。しかし,それが教育ですか?子どもたちは,ロボットなのでしょうか。一人ひとり違います。押しつけが当てはまる子どももいるかもしれません。でも,当てはまらない子どものほうが多いと私は思います。 

最後に

  私の好きな言葉に「教師の役割は,教師を必要としない人間を育てること」という言葉があります。「教育勅語」正直どうでもいいです。教師一人ひとりが,しっかりとした教育観を持ち指導に当たっていればいいのです。教育するのは誰ですか。文部科学大臣ですか?政府ですか?いいえ。学校と家庭でしょう。

 でも,教師は国の方針に従わないといけませんね。家庭は自由ですよ。親が子どものを育てるのではなく,子どもが自ら育っていくのです。そのサポートを,みんなで行っていきましょうよ。